GOLDEN 2012
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YS-11のそばにある航空発祥の地の碑。
明治44年4月、所沢に日本初の飛行場が開設された事に由来。
明治42年、臨時軍用気球研究会が発足し、航空機に関する研究が開始された。
航空発祥の地なので、いろいろあります。
航空自衛隊のC-46。
アメリカのカーチス・ライト社が1940年から3180機を製造。
当初は軍用輸送機として使用され、戦後は多くが民間旅客機として転用される。
発動機:プラット・アンド・ホイットニー社製空冷18気筒星型 2,000hp×2基
寸法:全幅32.9m、全長23.3m、全高6.6m
最大速度:433km/h、上昇限度:8,400m、航続距離:2,200km
乗員:5名、 輸送人員:50名
by.アフラ
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広報センターの軽装甲機動車です。 看板がわりに入口横に展示されていました。
この車両はイラクの人道支援で使用した物で、日本の道路を走る物ではないようです。
軽装甲機動車(愛称:ライトアーマー)
全長:約4.2m、全幅:約2.0m、全高:約1.8m
空車重量:約4.5t
速度:100km/h
乗員:4人
製作:小松製作所
同じく屋外の展示物で、96式 装輪装甲車です。
96式装輪装甲車(愛称:クーガー)
全長:約6.84m、 全幅:約2.48m、 全高:約1.85m、 最低地上高:0.45m
全備重量:約14.5t
最高速度:100km/h、 行動距離:500km以上、 登坂能力:約30°
武装:96式40mm自動てき弾銃、又は12.7mm重機関銃‥1
乗員:10人
製作:小松製作所、川崎重工(誘導弾発射装置)
[《前回の記事]
by.アフラ
二年ほど前に陸上自衛隊広報センターに行ってきました。
広報センター入口の上に貼ってあるもので、 右が「りっくん」左が「あさかちゃん」といいます。
広報センターのイメージキャラクターです。
卵みたいです。
広報センターのパンフレットです。
広報センター入口の上に貼ってあるもので、 右が「りっくん」左が「あさかちゃん」といいます。
広報センターのイメージキャラクターです。
卵みたいです。
広報センターのパンフレットです。
by.アフラ
珍しい物を見てきました。
12月1日に埼玉県の所沢航空発祥記念館という所で「零戦エンジン始動見学会」をするとのことで、見に行ってきました。
アメリカカリフォルニアのプレーンズ・オブ・フェイムという航空博物館から借りた物で、エンジン始動はアメリカ人がやっていました。
オリジナルの栄エンジンが動く状態で保存されている機体は世界にこの一機だけです。
零戦エンジン始動見学会の一回の参加人数は420人で、整理券を持っている人だけが見学できました。
私は7:55頃第一回目の列に並びましたが、その時既に330番目で、8:07に420人に達してしまいました。
第一回目のエンジン始動見学会です。
赤い柵の所にいる邪魔な人達は報道関係者であって、一般人ではありません。 整理券をもらった見学者はさらに手前のロープを張られた所で見ていました。 つまり、これ以上零戦には近付けませんでした。
写真には撮っていませんが、このまわりは420人の見学者に囲まれていて、すごい状態です。
いろいろな角度で撮るのは無理でした。 一応、これでも最前で見ています。
12月1日に埼玉県の所沢航空発祥記念館という所で「零戦エンジン始動見学会」をするとのことで、見に行ってきました。
アメリカカリフォルニアのプレーンズ・オブ・フェイムという航空博物館から借りた物で、エンジン始動はアメリカ人がやっていました。
オリジナルの栄エンジンが動く状態で保存されている機体は世界にこの一機だけです。
零戦エンジン始動見学会の一回の参加人数は420人で、整理券を持っている人だけが見学できました。
私は7:55頃第一回目の列に並びましたが、その時既に330番目で、8:07に420人に達してしまいました。
第一回目のエンジン始動見学会です。
赤い柵の所にいる邪魔な人達は報道関係者であって、一般人ではありません。 整理券をもらった見学者はさらに手前のロープを張られた所で見ていました。 つまり、これ以上零戦には近付けませんでした。
写真には撮っていませんが、このまわりは420人の見学者に囲まれていて、すごい状態です。
いろいろな角度で撮るのは無理でした。 一応、これでも最前で見ています。
by.アフラ
九六式十五糎榴弾砲。
6トン牽引車による迅速な移動と強力な火力をもって機械化砲兵と呼ばれた。
この砲は野戦重砲兵第一連隊第四中隊に所属し、沖縄防衛戦に奮戦、糸満市真壁の陣地において昭和20年6月13日全弾を撃ち尽くして中隊は砲と運命を共にした。
連隊はノモンハン事件でソ連砲兵と戦火を交えた後、東満洲の黒河省神武屯で国境警備に任じた。 大東亜戦争勃発するや比島に進出し、パターン・コレヒドールの戦闘に偉功を立て、再び神武屯に帰還した。 19年沖縄に進出し翌20年6月玉砕した。
口径:149.1mm、砲身長:352.3cm、砲重量:4,140kg、発射速度:45発/時、最大射程:11,900m。
八九式十五糎加農砲。
昭和4年(皇紀2589年)に制式化された火砲。 長射程、大威力を誇った。
移動時には砲身、砲架をそれぞれ8トン牽引車で運搬した。
この砲は沖縄の戦闘において独立重砲兵第百大隊が使用し、首里附近の陣地から嘉手納の飛行場を制圧する等、軍砲兵隊の骨幹として活躍した。
砲身には生々しい弾痕が残っている。 日本に唯一残る十五加。
口径:149.1mm、砲身長:472.5cm、放列砲車重量:10,422kg、砲弾重量:40.2kg、発射速度:1~2発/分、最大射程:18,100m。
靖国神社の遊就館には、昭和天皇が着た軍服とか備前焼の手榴弾とか興味深い物も展示されていましたが、撮影禁止でした。
戦地から回収してきた物の中には屠龍のエンジンのピストンやバルブや気化器などもありましたが、(アフラ氏は屠龍が好き:注・編)正直言ってぼろぼろで、説明無しでは何なのかわからないような残骸でした。
屠龍のエンジンのピストンは、大排気量のディーゼルエンジンのピストン並みに大きかったです。
桜花も撮影禁止でした。
旧日本軍の兵器では風船爆弾に興味があるのですが、そのような展示物はありませんでした。
アメリカは不名誉な事は公表しませんので、風船爆弾はどの程度の戦果があったのかわかりませんが、かなり心理的に無気味で気持ち悪い物だったみたいです。
あんな物がたくさん空に漂っていたら無気味ですよ。
by.アフラ
零戦整備の図 「整備魂」
戦中のラバウル東飛行場での整備兵の労苦を描いた図。
大東亜戦争末期、艦船や戦地に取り残された多くの整備兵は不慣れな海戦や基地戦闘を戦い抜き、散華していった。
画:藤瀬韶國
泰緬鉄道の開通式で使われたC56。
戦後も泰緬沿線の地域開発に活躍したC56型機関車90輌の代表として昭和54年にC5631保存会によって奉納された31号機。
実車は昭和11年に日本車両で製造され、石川県七尾機関区で走行していたもの。
大東亜戦争で90輌が南方に徴用され、31号機はタイで活躍、泰緬鉄道の開通式に参加した車両。
戦後はタイ国有鉄道で使用され昭和52年に引退。
by.アフラ
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