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スピーカー修理の第二弾は、別邸のサブシステムにメインスピーカーとして使用しているDIATONEのDS-201です。
25センチウーファーの2ウェイにスーパートゥイーターを搭載したDS-251の後継機として1978年に発売された三桁シリーズの末弟に相当します。
この機種はクロスエッジを使用している為に崩壊する事はありませんが、ダンプ剤として使用されているピスコロイドが硬化してしまい、殆ど低音が出なくなります。ネットオークションでも度々見かけますが、例外なく同様の症状が進んでいる様です。
硬化が進むとフランスパンのようにカチカチになり、指で押してみるとコーンの動きを妨げている事は一目瞭然です。 こうなるとウーファーとして役目を果たさなくなるだけでなく、そのまま使用するとボイスコイルを損傷してしまう可能性もあります。
軟化処理を請け負っている業者さんも存在しますが、今回はピスコロイド軟化剤を使用し、自分の手で新品に近い難度まで復活させる事に挑戦しました。 但し、当該機種はフレームをエンクロージャーに接着してあり、ボルトを外しただけではユニットを取り外す事は出来ません。結局、マイナスドライバーに布製ガムテープを貼って力業で外しました。(笑)
外したユニットの裏からエッジに丸筆で軟化剤を塗布します。コーンはパルプ製ですので、コーンに着かない様に慎重に作業。
塗布後は溶剤を行き渡らせる為にコーンをストロークさせ、念のために逆さにして放置します。着けすぎた溶剤が谷部に流れるようにし、コーン紙に浸透させない為です。
翌日に正規の向きに固定し、小筆で表面からも塗布しました。その際も頂点から外側のみとし、スピーカー全体を仰向けにしたまま24時間放置します。この際、底の丸いスプレー缶を載せ、コーンを押した状態にしておきます。
力業でウーファーユニットを外したDS-201。 エンクロージャー内部にはグラスウールがビッシリと詰められています。
元々黒に近いグレーだったコーンも茶褐色に変色しています。 画像では解りづらいですが、エッジはフランスパンの様にカチカチになっています。
流石に3桁シリーズだけあって、フレームは強固なアルミダイキャストの一体型になっており、共振を防止しています。
日本のすぐそばに、怖い事をしている国がある事を知ってもらうための施設です。
海上保安庁の基地のすぐそばにある、旧横浜港駅の跡です。
満洲の皇帝は、この駅からお召し列車に乗って東京駅に行きました。
旧横浜港駅プラットホーム
明治44年(1911年)、横浜税関構内の荷扱所としてつくられ、大正9年7月23日「横浜港駅」となり、東京駅から初の汽船連絡列車(岸壁列車)が乗りいれました。
関東大震災の復興期・昭和3年、当時の花形外航ターミナルに沿って旧横浜港駅のプラットホームが設けられ、華やかな海外航路時代の最盛期を迎えました。
工作船が展示されている建物のすぐ横に停泊している「しきしま」という巡視船です。
海上保安庁の巡視船で一番大きいらしいです。
工作船が展示されている建物です。
苦労の結果、昔の音が蘇りました。
SC-101は20㌢ウーファーとドーム型トゥイーターの2ウェイシステムで、デンマークのピアレス社のユニットを使用しており、厚い低音と共に高域までフラットに再生できる隠れた名機だと思っています。
特に、ヴォーカルが前に出た再生音で、アナログソースだと奥行きまで再現できる、小型スピーカーの傑作機ではないでしょうか。
メーカーも「スーパーボーイ」の愛称を付す等、密閉式スピーカーに強いDENONの気概が見て取れます。
DENON SC-101:密閉式2ウェイ ウーファー20㌢コーン型 トゥイーターシルクドーム型 音圧91dB/W/m 再生周波数45~20KHz 入力MAX80W クロスオーバー3KHz 公称インピーダンス8Ω
DIATONE DS-10B:バスレフ式2ウェイ ウーファー20㌢コーン型 トゥイーターコーン型 音圧90dB/W/m 再生周波数45~20KHz 入力MAX50W クロスオーバー1.5KHz 公称インピーダンス6Ω
エッジ交換とセンター出しが終了したユニット。フルストロークさせてもボイスコイルに抵触しません。。
DS-10BとSC-101のマグネット比較。後者の方は密閉式として設計されている為か、かなり巨大です。
正規のユニットが再び収まったSC-101。ユニットは分厚いアルミ製のリングによって全周を支えています。正規のボルトを紛失した為、今回はステンレス製のキャップボルトを奢りました。
この4号電話機を使いたくて、わざわざダイヤル回線を契約しました。
最近の若い子はダイヤル式電話機なんて使った事ないんでしょうね。
九六式十五糎榴弾砲。
6トン牽引車による迅速な移動と強力な火力をもって機械化砲兵と呼ばれた。
この砲は野戦重砲兵第一連隊第四中隊に所属し、沖縄防衛戦に奮戦、糸満市真壁の陣地において昭和20年6月13日全弾を撃ち尽くして中隊は砲と運命を共にした。
連隊はノモンハン事件でソ連砲兵と戦火を交えた後、東満洲の黒河省神武屯で国境警備に任じた。 大東亜戦争勃発するや比島に進出し、パターン・コレヒドールの戦闘に偉功を立て、再び神武屯に帰還した。 19年沖縄に進出し翌20年6月玉砕した。
口径:149.1mm、砲身長:352.3cm、砲重量:4,140kg、発射速度:45発/時、最大射程:11,900m。
八九式十五糎加農砲。
昭和4年(皇紀2589年)に制式化された火砲。 長射程、大威力を誇った。
移動時には砲身、砲架をそれぞれ8トン牽引車で運搬した。
この砲は沖縄の戦闘において独立重砲兵第百大隊が使用し、首里附近の陣地から嘉手納の飛行場を制圧する等、軍砲兵隊の骨幹として活躍した。
砲身には生々しい弾痕が残っている。 日本に唯一残る十五加。
口径:149.1mm、砲身長:472.5cm、放列砲車重量:10,422kg、砲弾重量:40.2kg、発射速度:1~2発/分、最大射程:18,100m。
靖国神社の遊就館には、昭和天皇が着た軍服とか備前焼の手榴弾とか興味深い物も展示されていましたが、撮影禁止でした。
戦地から回収してきた物の中には屠龍のエンジンのピストンやバルブや気化器などもありましたが、(アフラ氏は屠龍が好き:注・編)正直言ってぼろぼろで、説明無しでは何なのかわからないような残骸でした。
屠龍のエンジンのピストンは、大排気量のディーゼルエンジンのピストン並みに大きかったです。
桜花も撮影禁止でした。
旧日本軍の兵器では風船爆弾に興味があるのですが、そのような展示物はありませんでした。
アメリカは不名誉な事は公表しませんので、風船爆弾はどの程度の戦果があったのかわかりませんが、かなり心理的に無気味で気持ち悪い物だったみたいです。
あんな物がたくさん空に漂っていたら無気味ですよ。
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懐古な趣味と報告
企画:しげ幽鬼
編集人:ネメシス